6月6日(土) 風月原と言う所に江戸時代から引き継がれた棚田がある。
2012年の九州北部豪雨で大きな被害を受けた地区だ。
まだ復旧工事が続いている。

最上段は幅300mあり、一番狭い所は2列ぐらいしか稲を植える事が出来ない。
どうやって300mもの幅の水平を出して石垣を作ったのか?
_BSY9375_01

この石垣はお城の武者返しの石垣と同じく、最上段が外にせり出している。
5mの高さで幅が1m広くなるとの事。
重機もない時代に急峻な山を開墾して出てきた不揃いの石で石積みを作る。
一粒でも沢山の米を収穫したい江戸時代の人の思いが数百年経った今でも伝わってくる。
_BSY9405_01

_SDS3394_2


星野村にはこうした石積みで収穫される棚田米が沢山ある。
子から孫へ、孫からその子へと引き継がれてきた田圃を守り続ける歴史を止めてはいけない。
IMG_0485

2012年の九州北部豪雨で300mのこの田圃も土砂崩れで寸断されてしまった。
しかし、オーナーの守り続ける強い思いが私の所に寄せられた。
ボアンティアに呼びかけ百数十人のボランティアが駆け付けてくれ、
翌年は寸断した個所があったが稲作が出来た。
復旧支援の為、柳川のうなぎ屋さんが、この米を買ってくれた。
オーナーは、今年も田植えをしてこのうなぎ屋さんに米を届けたい。
しかし、今年は取水用の谷復旧工事が始まり田植えが出来ない。
_SDS3420_1


下段の棚田は河川沿いは護岸工事が終わり、オーナーに戻され田植えの準備を始めたが、
新しく入れた土には沢山の砂利が入ったまま。_SDS3447_1
オーナーから緊急の砂利取りのボランティアの要請が来た。
久留米大学の「久留米・筑後体験演習」の学生と「ゆめくる」のメンバーが18人、
一般ボランティアも10数名が駆け付けてくれた。
砂利取りをして今年も田植えが出来た。_SDS3394_2

護岸は人工的なブロックで固められたが、100年後の人がこれを見て、
「先に残さねば」という気持ちになるだろうか?

IMG_0501

この川沿線の田畑の被害は相当ひどい。
まだ復旧しないままの田圃が沢山残っている。

水が引けるようになっても、オーナーさんがまた稲作を再開する気持ちになれるのか
心配は尽きないが、一枚づつでも田植えが出来るようにボランティアの皆さんは頑張って応援しいます。